無糖の日々

大事なことは、君が、「知りたい」という気持ちを強く持っていること、ただそれだけということです。

雑記

考えても考えても分からない。それは考えているのではなくて悩んでいる証拠だ。悩んでいる限り課題は解決できない。だから考えることで前に足を踏み出す。それで分からないが分かるになれば良いが、それほど沼は浅くない。深い沼はなかなか前に進めない。むしろ引きずりこまれる感覚すらある。ここでいう沼は問題の事象ではなく、対人関係そのものだ。何かしらの結果を期待されている手前、浅い沼をクリアしたところで知れている。クリアできなければ、なぜクリアできなかったかを質される。「時間を使って考えましたができませんでした。」「周りを見てみろ。A君はこんなにすごい結果を残しているのにお前は何だ? 努力が足りない。」

確かに努力が足りないのは一理ある。というかそう言われれば反論しようがない。だが果たしてそうなのか。これは個人の問題なのだ。モラリズムは規則そのものを問題とせず、自由に動ける個人を問題とする。規則は破ろうと思えば破れるのである。ちょっとはみ出した人間は避けられる。それ自体はどういうこと、状態、問題があるのか、悪いのか。個人の問題が他人にも影響する。それはよくあることだ。そもそも影響しながら生きている身だから当たり前か。

上の人がいるから言えないという自分勝手なもどかしさ。普段は意識しないのにこの期に及んでかという時にやってくる。自信があるわけでもないわけでもない、どっちつかず。質が悪い。でも感じたのはもしかしたら挽回できるかもという可能性を少し。とりあえず、やってみようの意志はまだある。

雑記

電通の過労死問題から一か月たった中で 「増補 経済学という教養」の中で稲葉先生は「モラリズム」の視野の狭さを指摘されていた。つまり、原理原則はルールとしてあるものの、個人はその原則から外れて行動できるというのが中身である。

モラリズムに従えば、行動主体の個人を問題とするし、責任はルールそのものではなく個人に帰するということだ。

モラリズムが強すぎると、原理原則のほうが問題だとする考え方が遠くなってしまうので問題である。

「やさしさ」過剰社会 (20161217)

「やさしさ」過剰社会 著 榎本博明 を読んだ。

 

人や場合によってそれが「やさしい」と感じるのに違いがある。例えば、先生が生徒のためを思って厳しくする優しさが生徒にとっては優しさだとは思えず、自分の好きにさせてくれないと先生に対して嫌悪感を抱く。勿論、全てこうだとは毛頭いうつもりはないが、そういう例があるということだ。私自身は褒めるよりも厳しいほうが伸びる質だと自覚しているので、今は先生の優しさに共感することができる。本当の優しさは自他共に傷つけてしまうものではあるけれども、生徒にとってはそれが負けん気に繋がり、将来また挫折があったとしてもただでは起き上がらないたくましさを育むことになるだろう。一方、先生も注意したその時は生徒に嫌われたかもしれないけれど、誰かが注意しなければその子はどうなるだろうか。

また、「やさしさ」の問題として昨今の褒めて伸ばす教育とからめているのが本書である。この部分は現代の問題である打たれ弱い若者との関連性を示していて、とても興味深いので是非読んでいただきたい。

「やさしさ」過剰社会 人を傷つけてはいけないのか (PHP新書)

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子どもの意志を尊重しすぎるのも良くない。家族の中でルールや規則を定めておくことが社会に出た時に順応できる。そのために大人は損な役回り(めんどくさいかもしれない)だけれど、その重要性について改めて考えるべきだと私は思います。

雑記

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ビジネス実務検定受けてきました。難易度は難しくはないと思いますが、社会人か大学生かでは大きく違うのかなと。

個人的に労働法が手ごわかったです。しかし、私的自治の原則と契約自由の原則をなぜか勘違いして間違えたのは痛い(契約自由?そんな都合のいい原則あったっけ?)

 

契約自由の原則:誰とどのような契約でかつどのような方法で契約するかは国家の干渉によらず、自由である

私的自治の原則:私人の法律関係における決定は個人の自由意志に基づくべきだ

 

この二つの原則の関係は 私的自治 ⊃ 契約自由  です。

私的自治の私人での間の決定を契約自由の原則という形で掘り下げています。

具体的には 締結自由の原則、相手方を選択する自由の原則、内容決定自由の原則、方法自由の原則 です(興味があればどうぞ)

 

 

雑記

売買契約の問題で疑問に思ったので、書きます。売買契約において代金支払いが必要な場合とそうでない場合です。

問1

中古物件の売買契約の成立後、売り主Aが買主Bに住宅を引き渡す前に、落雷によりAの帰責事由によらずに住宅が焼失した。このケースでAとBの間に危険負担に関しての特約がなければ、民法上、AはBに対して、住宅の代金の支払いを請求できる

→〇

問2

建物の所有者が当該建物を売却する旨の売買契約を買主との間で締結したが、当該建物は、売買契約の締結前に、第三者の放火により焼失していた。この場合、契約の目的物が存在しないため、売買契約は成立しない。

→〇

 

・売買契約の成立は「売る」「買う」の意思表示が合致することで成立します。(賃貸借契約も同じで、双方の同意によって契約できる諾成契約です)

 ↳+α <双務契約は双方に債権・債務の関係が成り立つ契約の意味です。>

 

危険負担の原則で考えると、物権の移転を目的とした場合において、債務者の責めに帰することのできない事由によって消滅した場合は債権者(買主)側に支払い義務が生じます。

 

結論

締結前、締結後に消滅するかによって買主側に支払い義務が生じるか生じないかが決まるのですね。